佐賀県大町町にできた新名所です。

大町町って、どんな町?(町の歴史)

 大町町は、かって「杵島炭鉱」の企業城下町として栄えた町です。
炭鉱の歴史は古く、ここ大町でも江戸時代から採掘が始まっています。文政(ぶんせい)9年(1826年)、オランダ商館長の「カピタン行列」に随行したシーボルトの旅行記「江戸参府紀行」には「肥前国のウクモトで炭鉱を見たが、坑内は見せてもらえなかった」と書かれており、このウクモトは「福母炭鉱」(ふくもたんこう)の事であろうといわれています。
明治初期から開坑していた地域の炭鉱を、明治42年に炭鉱王といわれた高取伊好氏が統合し、その後、昭和4年に大町を拠点にした杵島炭礦株式会社が設立されました。
昭和12年には、県内出炭高109万トンのうち83万トンを占め、名実共に県下一の大炭鉱として佐賀県の産業発展に寄与しました。
全国各地から労働者が集まり、昭和16年には町民人口も24,000人を超えました。この内、炭鉱関連の人が58%を占め、有数の「炭鉱町」として隆盛を極めました。
児童数も多く、昭和33年には86学級4,000名を超え「日本一のマンモス小学校」として全国にその名を馳せました。
時代の変遷と共に、エネルギー需要が石炭から石油へと変わり、この「エネルギー革命」の波を受ける形で、昭和44年に杵島炭鉱は閉山しました。閉山後、佐賀鉄工所や住友系の工場誘致等の閉山対策を行いましたが、大半の人口が流出し、現在では7,000名弱の人口に留まっています。
巨大煙突をはじめ炭鉱関連施設の多くが取り壊されましたが、レンガ造りの変電所跡や炭住の名残をとどめる住居など、一部当時を偲ばせる建物が残っています。
現在、変電所跡は、「大町煉瓦館」として生まれ変わり、大町に縁のある方々の「ふるさと拠点」として活かされています。

大町二千年蓮池の歩み

 昭和26年4月、千葉県検見川の遺跡から2,000年前の丸木舟と一緒に蓮の種3粒が発見されました。その1粒が発芽に成功し、翌年開花しました。
蓮の権威者であり発見者であった大賀一郎博士の名を取り「大賀蓮」(おおがはす)と名付けられました。その後、日本各所、世界各国に株分けされて平和を象徴する「古代のロマン」として育てられています。
佐賀県多久市聖光寺(しょうこうじ)の池にも、この二千年蓮が栽培されています。
2013年、大町煉瓦館の農業指導顧問のスタッフから「大町にも、このハスを咲かせよう!」という提案があり、「大町子どもダッシュ村」の隣の「仏法堤調整池」の一画に移植する計画がスタートしました。
2014年3月9日、聖光寺の野中寛應住職のご厚意により、住職が種から育てた二千年蓮のDNAを受け継ぐ「大賀蓮」の蓮苗を譲り受け、大町での二千年蓮の栽培が実現しました。
2015年には、初めての「蓮池鑑賞会」を開催し、「大町二千年蓮の歌」の披露と「写真撮影会」を行いました。この蓮池は、聖光寺の野中住職から「多久の二千年蓮池の姉妹池に認定します」というお墨付きをいただき、大町の新名所としての期待が高まっています。蓮池は、現在も拡張中で、数年後にはさらにバージョンアップした蓮池の姿を堪能できるものと思います。

「大町二千年蓮池公園」が出来るまで

<葦(あし)が生い茂る荒涼とした沼地が、癒しの空間へと変わった>

大町煉瓦館の歩み

 現在、大町町泉町に昭和2年に建造されたレンガ造りの建物が存在しております。旧杵島炭鉱時代に、炭鉱施設に電力を送る変電所として活用された当時の面影を残す唯一の建物です。
 1969年(昭和44年)の閉山後も、この堅牢な建物は時代の風雪に耐え、今なお当時のままの姿を残し、時代の「生き証人」として存在感を漂わせています。
 2005年、この建物の所有者から「この建物を修復保存し、地域のコミュニティスペースとして、未来に向けて有効活用していただきたい」というご提案がありました。
 この提案を受けて、県内の歴史的文化遺産の修復活用を推進している「NPOまちづくり研究所」さんのサポートを得て、町内有志からなる「杵島炭鉱変電所跡活用推進会」が発足致しました。
 一方で、大町出身者の集いである「東京佐賀ふるさと大町会」という組織があり、定期的に会合(親睦パーティー)を開き、旧交を温められていることを知りました。2004年には、大町会が中心となり炭鉱時代当時の写真集「我がふるさと大町<おおまち>」を発刊されています。大町を離れても、炭鉱町<おおまち>の思い出と故郷を愛する気持ちは続いているのです。
 風が吹いている。閉山後40年近く沈黙を続けて来た「杵島炭鉱変電所跡」が語り始めてきた。そういう思いが強く湧いてきております。
 その流れとタイミングを感じつつ、ここに皆様にご提案致します。「ふるさと大町」に対する大町在住者および大町出身OBの方々の郷愁の思いを象徴する建物として、また住民の高齢化が進みややもすると元気が無くなりつつある大町の活性の場として有効活用することを2大目標として、この建物の修復保存と活用を呼びかけます。

 2015年、日本の産業革命を支えた三池炭鉱、「軍艦島」などの炭鉱事業を含む遺産群が「世界文化遺産」に登録されました。杵島炭鉱変電所跡(大町煉瓦館)も遺産群の一画を構成する建造物のひとつとして注目されています。

皆様のご協力とご支援を、心よりお願い申し上げます。
杵島炭鉱変電所跡活用推進会

2005年 12月 「杵島炭鉱変電所跡活用推進会」発足(参加10名)
2006年 3月 碗琴コンサート開催(入場者約200名)
8月 第1回「大町今昔写真展」開催(以降、年2回開催継続中)
10月 煉瓦館の屋根修復始まる
2007年 1月 ワークショップ開催。間伐材を使用してベンチや椅子を作成。スタッフによる窓の修復も行う。
5月 福岡天神イムズ「佐賀県福岡情報センター」にて、写真パネル展開催
7月 「遊びと学び」開催(まちづくり活動支援事業。以降、年2回開催継続中)
8月 「大町再発見の夕べ」開催(炎博記念地域活性化事業)
10月 JRとの共催による「大町今昔ウォーキング祭り」開催。町外から500名超の参加があり、ボタ山での「大声大会」や商工会の「一店逸品会」の物産フェアなどで賑わった(炎博記念地域活性化事業)
11月 「レンガのある風景と美しいまちづくり」開催。絵画と写真の公募コンテストなどを行う(まちづくり活動支援事業)
2008年 5~11月 子供を対象にした「大町子どもダッシュ村計画」と「子どもガイド育成事業」を実施。ダッシュ村では、サツマイモの苗植えから収穫までを体験。子どもガイドは、大町の歴史と文化を学び、町内の名所旧跡をガイドした。(炎博記念地域活性化事業。以降、現在に至るまで大町煉瓦館活動の2大柱として継続中)
2011年 4月 第1回東日本大震災復興支援チャリティーコンサート開催(以降、年1回開催中)
2013年 9月 「大町新風発見企画」開催。町内出身のミュージシャン成瀬ブルックリンさんのライブと野中健也さんのプロジェクションマッピング映写
10月 大町二千年蓮池計画スタート
2014年 3月 二千年蓮を仏法堤調整池に移植
6月 二千年蓮、大町にて初開花
2015年 7月 大町二千年蓮「鑑賞会」開催。「二千年蓮の歌」の披露と「写真撮影会」を行う(地方創生事業)
9月 二千年蓮池の第一回「写真展」開催。県内外から53点の出品があった。

大町町の概要とアクセス

大町は、佐賀県のほぼ中央に位置し、総面積11.50平方km、東西4.46km、南北4.25km。現在(平成27年)、佐賀県で最も小さな町ですが、「磨き輝く小さな原石」を目指して未来志向の情報発信を行なっています。

自動車での所要時間

福岡から約1時間30分/久留米から約1時間/熊本から約2時間/長崎から約1時間30分
佐世保から約1時間/佐賀から約30分/佐賀大和ICから約30分/武雄北方ICから約15分

看板マップ
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